風柱「不死川実弥」と蛇柱「伊黒小芭内」気むずかしい2人はいかにして“気が合う友達”になったのか

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風柱「不死川実弥」と蛇柱「伊黒小芭内」気むずかしい2人はいかにして“気が合う友達”になったのか

 

風柱「不死川実弥」と蛇柱「伊黒小芭内」気むずかしい2人はいかにして“気が合う友達”になったのか(AERA dot.)

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風柱「不死川実弥」と蛇柱「伊黒小芭内」気むずかしい2人はいかにして“気が合う友達”になったのか

風柱・不死川実弥(手前)と蛇柱・伊黒小芭内。画像は「柱稽古編」キービジュアルポスターより。(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

【※ネタバレ注意】以下の内容には、アニメ、既刊のコミックスのネタバレが一部含まれます。 【写真】「上弦の鬼」のなかで最も悲しい過去を持つ鬼はこちら 『テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編 特別編集版』が5月4日、5日の夜7時から放送される。この後には、ファン待望のアニメ新シリーズ「柱稽古編」が12日の夜11時15分から放送開始予定だ。刀鍛冶の里の戦いまでは、鬼殺隊実力者である「柱」たちそれぞれの強さと独立性が示される場面が多かったが、実は、彼らは強い信頼関係によって結ばれている。とくに風柱・不死川実弥と蛇柱・伊黒小芭内の「仲の良さ」は端々の様子からうかがえる。どちらもクセが強そうな2人は、どのような経緯でお互いを認め合うようになったのか。「柱稽古編」放送スタートにさきがけて、実弥と伊黒の関係について考察する。 *  *  * ■鬼への警戒に忙殺される「柱」  鬼狩り集団・鬼殺隊では、鬼との戦闘の中で剣士が次々と死んでいく。鬼の強大なパワーに負けずに対抗できるのは、鬼殺隊の上位実力者である「柱」ぐらいだとされており、一般隊士だけでは対処できないような場面も頻繁に描かれている。  鬼はまさに神出鬼没である。鬼の総領・鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)の配下の鬼たちは、無惨の指示通り動く必要があるため、東京周辺から大きく離れたところには出没しないようだ。しかし、彼らは人間社会にまぎれこみ、いつ、どこに姿を見せて、人間を襲うのか予想できない。そのため、鬼殺隊は広大な範囲の警戒にあたらねばならなかった。 「柱稽古編」では、柱たちの日々の忙しさも語られることになる。多忙さゆえに、柱同士の交流もこれまで十分には行われてこなかった様子である。しかしそんな中でも、風柱・不死川実弥と蛇柱・伊黒小芭内は、気の合う雰囲気を見せるのだった。彼らはどういう経緯で互いに打ち解けあったのだろうか。

■気が合う2人  最近、映画館で公開された「『鬼滅の刃』絆の奇跡、そして柱稽古へ」では、オリジナルアニメとして実弥と伊黒がともに戦う場面が挿入された。「呼吸」と呼ばれる技のエフェクトのスケールの大きさとともに、息の合った彼らの様子がファンの間で話題となった。  公式ファンブック『鬼殺隊見聞録・弍』(集英社、2021年)に「柱相関言行録」が掲載されているが、実弥は伊黒のことを「一番気が合う」とし、伊黒は実弥について「気が合う友達」と述べている。不機嫌そうな姿、怒っている様子、周囲に苦言を呈することの多い「気むずかしい」2人であるが、互いには理解を示している。さらに、鬼に対する警戒心の強さは、共通している部分である。 「信用しない 信用しない そもそも鬼は大嫌いだ」(伊黒小芭内/6巻・第46話) 「人間ならば生かしておいてもいいが 鬼は駄目です 承知できない」(不死川実弥/6巻・第46話)  柱合裁判において、炭治郎と禰豆子に対して即座に攻撃を加えようとしたのも、この2人だった。かたくななまでに「鬼の感情」「鬼の人間らしさ」を否定する。しかし、一方でその慎重さは、彼らの「柱らしさ」でもあった。 ■素直になれない2人の共通点  彼らは気むずかしいだけではない。遊郭の戦いの場に駆けつけた伊黒が、生還した音柱・宇髄天元にこんなふうに声をかける場面がある。 「ふぅん そうか ふぅん 陸(=6)ね 一番下だ 上弦の 陸とはいえ上弦を倒したわけだ 実にめでたいことだな 陸だがな」(伊黒小芭内/11巻・第97話) 「ずぬー」という不思議な擬音で登場した伊黒は、ネチネチした言葉を口にしながらも、明らかに機嫌が良かった。「褒めてやってもいい」という宇髄への言葉は、上弦の鬼の戦闘で宇髄が生き残ったことに、安堵(あんど)しているようにすら見える。これは彼なりの「軽口」の一種であろう。

風柱「不死川実弥」と蛇柱「伊黒小芭内」気むずかしい2人はいかにして“気が合う友達”になったのか(AERA dot.)

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 似たような場面が、実弥にもある。刀鍛冶の里の戦闘では、上弦の鬼2体が同時に出没し、恋柱・甘露寺蜜璃と霞柱・時透無一郎が応戦せねばならない厳しい状況であった。その中で、柱2人、さらには実弥の実弟・玄弥と炭治郎たちが無事に戻ったことで、いつもよりも明るい様子を見せる。「あーあァ 羨ましいことだぜぇ なんで俺は上弦に遭遇しねえのかねぇ」というセリフは、玄弥や他の柱が死亡していたら、決して出てはこない言葉である。  素直に「よかったね」とは言えないこの2人には、やはり性格的に似ている部分があるといえるだろう。 ■鬼を憎む血筋と深い因縁  鬼殺隊の隊士たちのほとんどは鬼の被害者だ。家族、恋人、友人が鬼に殺害され、自分も恐ろしい思いをしてきた。鬼殺隊の入隊試験でも未熟なままに鬼と対峙し、入隊後も目の前で仲間を失い続ける。鬼への恨み、鬼への憎しみは根深い。  その中でも、実弥と伊黒には特別な共通点がある。刀鍛冶の里の戦闘時、弟の玄弥の回顧によって明らかになった、不死川兄弟の「母親の鬼化」と、母による弟妹たちの殺害事件である。伊黒の過去は、これからもっと後に詳細が語られるのだが、彼もまた親族に鬼と縁が深い者がおり、身内から命を狙われた経験がある。 ――鬼は恐ろしい。人間の言葉を話し、思い出を共有し、理性を失って凶暴化し、欲のために他者を殺す。かつて人であったモノへの情に惑わされることなく、鬼を滅殺せねばならないという思いが、実弥も伊黒も強固である。幼い頃に「身内を信じることができなくなった」悲惨な経験の傷は、今もなお深い。

■誰のために戦うのか?   鬼の頂点にある鬼舞辻無惨、そして上弦の壱・黒死牟と、弍・童磨。炎柱・煉獄杏寿郎を死にいたらしめた、上弦の参・猗窩座。彼らの強さは異次元にある。パワー、剣技だけでなく、傷を負ってもすぐに再生する治癒力の高さ。鬼殺隊の剣士たちは、文字通り「地獄」を見せられることになる。  叫び声も涙も枯れ果てるような過酷な戦闘の中で、実弥も伊黒も「大切な人」への思いを秘めたまま、柱として戦い続けるのだが、彼らを心から案ずる者たちもいた。「俺は兄貴を 師匠を 仲間を絶対死なせねぇ」「伊黒さん嫌だ 死なないで!!」…「強い柱」であるはずの自分たちを心配し、救いたいと願ってくれる者たちの悲痛な声を背負いながら、彼らは日輪刀をふるう。鬼がいない平和で平凡な毎日を取り戻すために。仲間が、大切な人が、幸せな日々を送れるようにと。  実弥と伊黒の若き剣士たちへの厳しすぎる訓練も、辛辣な言葉の数々も、彼らの優しさと思いの強さから発せられるものである。「柱稽古編」で描かれる比較的穏やかな日常のエピソードから、彼らが何のために戦うのか、その精神力を支えるものが垣間見えるだろう。 ◎植朗子(うえ・あきこ) 伝承文学研究者。神戸大学国際文化学研究推進インスティテュート学術研究員。1977年和歌山県生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程修了。博士(学術)。著書に『鬼滅夜話』(扶桑社)、『キャラクターたちの運命論』(平凡社新書)、共著に『はじまりが見える世界の神話』(創元社)など。

植朗子

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