ryuchellさん一周忌 「泣いていいんだよ」と息子に伝えながらpecoも涙した日

ryuchellさん一周忌 「泣いていいんだよ」と息子に伝えながらpecoも涙した日

 

ryuchellさん一周忌 「泣いていいんだよ」と息子に伝えながらpecoも涙した日(AERA dot.)

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ryuchellさん一周忌 「泣いていいんだよ」と息子に伝えながらpecoも涙した日

ryuchellさん一周忌への思いを丁寧に語ってくれたpeco

 pecoさんの日々の出来事について綴る連載「pecoの子育て&お仕事日記」。今回は「ryuchellさん1周忌のいまの正直な気持ち」。2023年7月12日にryuchellさんが亡くなって1年。ryuchellがいない世界を受け入れられていない自分に気づきながらも、息子とともに前に進んでいる。 【写真】お花に囲まれたかわいいryuchellさんはこちら *   *   *  ryuchellが亡くなって1年たったからって、1年間分、自分自身が先に進めたかというとそうでもなくて……。いまだに、正直、ryuchellがいないことを受け入れられていない気がします。  受け入れてないつもりはないけど、日々の自分を振り返って「あぁ、受け入れられていないんだな」って思うことがちょこちょこある。別に、それはそれでいいかなと思っていて、無理して受け入れる必要もないし。  受け入れていない自分を感じるのは、お仕事のときは特に、こんな感じでryuchellのことをいくらでも話せるから。お仕事でryuchellのことをお話しさせてもらうときは、冷静にしゃべれるし、感情がブワーっと出ることもなく、取り乱すこともない。  お仕事以外でも、もちろん息子ともそうですけど、友達とも、当たり前のようにryuchellのことを会話に出すし、誰かがryuchellの名前を出したときに何の違和感もなく会話が続き、名前が出たときにグサッと傷つくこともない。  お仕事でryuchellのことを話すのは、私にとってはすごいいい機会になっています。人間は言葉を自分の口から出すと、本当にそう思えるようになったりとか、自分自身の考えを整理できることもあるじゃないですか。   ■気持ちの整理はついていても  ryuchellのことに関しては、自分で話すことで整理がつくのを本当に身に染みて感じていて、だから、ryuchellの死は受け入れられてはいないけど、整理はついている。  リアルな話を言うと、ryuchellの写真が部屋にあって、そこにryuchellがいると思っているんですけど、それに対して全力で何かをやってあげられていない。

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 例えば、毎日お花をあげたりとか、毎日好きなものを用意してあげたりだとか、それは全然できてないんですよ。こういうことを話すと怒られちゃうかもしれないんですけど、毎朝、ろうそくを灯すとか、100%できていない。  ryuchellの好きな飲み物を買ってきて、コップに入れるのは毎日やっています。息子が「ダダにお花買ってあげようよ」と言ってくれたときには、ryuchellの写真のところに飾ります。ピザをデリバリーしたとき、一切れryuchellの写真のところに置いて、息子と一緒に食べることもあります。でも、それは、言い方が悪いですが気が向いたときだけ。  毎日毎日、ryuchellに全力で何かしてあげられていないな、というのはあります。そういう意味で、まだ受け入れられていないのかなと自分で感じています。    形じゃなくなっているryuchellへの対応に、受け入れてない自分を感じるものの、別にこれでいいと思う自分もいる。「実はまだ受け入れられていないのかな?」、でも、「これでいいよな」という繰り返し。  7月12日の一周忌の日は、ちゃんと全力でryuchellの大好きな物を集めて、お花も買って写真のところに飾ります。でも、日常的にもっとやってあげることや本来ならやってあげるべきことをできていない。   ■泣いたのは1年で5回もない  普段、ひとりでryuchellのことを思い出して悲しくなることって、この1年間で5回もなかった。必死っていうか、「前に進むぞ! 進むぞ!」っていう気持ちで自分を奮い立たせているので(笑)。  元々の性格もクヨクヨしたくないっていうタイプで、自分で自分のお尻をたたくほう。さらに大事な息子がいるので、1年間で5回も泣いてないです。  こういう話をすると「ちゃんと自分の感情を出せているかな?」と心配してくださる方もいるんですが、別に我慢していることもないし、「クヨクヨしていたらいけないんだ! 頑張ろう!」とか、無理にやっているわけではなくて、前を向くことが、先に進む方法だから。それが、私にとって心地いいというか、自分にとってはコレだなと思っているやり方なんです。

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 数週間前、スマホで息子の小さい頃の動画を見ていて、珍しく久々に悲しくなりました。息子が運動会のリレーでめっちゃ頑張っていて、親バカなんですが、その姿がカッコ良かった! あんな必死な顔をして走る姿に息子の成長を感じて、その成長をryuchellももちろん見ていてくれていると思っているけど、生きては見てないし、これから先の息子の成長も見届けられないんだ……と。息子の動画を見ながら、涙が止まらなくなりました。  その翌日、息子とも泣きました。私の誕生日について話しているとき、「ママの誕生日ケーキどうしよう!? いままではダダが準備してくれていたのに、どうしよう……」って泣き出したんです。「とにかく、ケーキのことを考えてくれたのは嬉しいけど、ママはあなたが思ってくれる優しい気持ちだけで十分だよ。ケーキは大丈夫」って話したんだけど、息子は「ダダと準備していたのに! なんで、ダダはいなくなっちゃったの! なんでダダは死んじゃったの! ダダはいまどこにいるの!」って泣きじゃくって。  息子も久しぶりに感情があふれ出して、晩御飯のときだったんですが食べるのを中断して、息子はryuchellの写真を取りに行って写真を抱きしめ、わたしもその息子をギューっと抱きしめながらお話しをしました。久しぶりに私も一緒にめちゃめちゃ泣いた。   ■ママもダダがいたらなと思う 「実はママも昨日悲しくなって、なんでダダいないんだろうって泣いたんだよね」と明かしました。「ママもダダがいたらなと思うことはいっぱいあって、でも、そう思うのはいいんだよ。そういう泣きたい気持ちになったら、ママに教えてくれたら嬉しいし、こうしてギューすれば大丈夫。ありがとうね、気持ちを教えてくれて」と息子の気持ちを受け止め、そして、その気持ちを明かしてくれたことが嬉しいということをとにかく伝えました。  30分くらい泣き続けましたね。「ダダはいつも絶対に見てくれているし、絶対にそばにいる。いまもここにいてくれている」と話すと、息子は「見ているとかじゃなくて、ここに来てほしい!」と。それも同じ気持ちなので、「そうだよね、わかるよ」って受け止めました。  息子が、これだけ言葉にして気持ちを私に伝えてくれることが有難いし、そういう意味においては安心しています。息子が気の済むまで話したり、泣いたりしていい。息子が違うことでピーピー泣きながら文句を言っているときは「いつまで言ってんねん!!」って叱ってしまいますけどね(笑)。    30分泣いたあと、息子が自ら立ち上がってryuchellの写真を元の場所に戻して、かわいく置きなおして、気持ちを切り替えご飯を食べ始めました。そういう姿に親バカですが、なんて強くて、とにかくスゴイな、エライなと思う。そんな息子のパワーにはめちゃくちゃ救われている。  この1年めっちゃ早かったな……もう1年たったんだとは思います。この先も息子と同じ方向を向いて進んでいくだけ。そして、一番に思うのは、パパがいなくてかわいそうとか、絶対に思ってほしくないし、思いたくない。ryuchellがいなくなったことはかわいそうだけど、かわいそうな子ではないと私は思うから。

peco

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